横浜の中でも、多国籍な下町、中区若葉町。残置物はそのままで人だけが居なくなっていた金庫室のある元銀行の古いビルと出会う。
昭和41年築の4階建てのヴィンテージ感をそのまま活かし「日常とアート」を文脈とした 多様性が交差し化学反応するアートスペース「nitehi works」(ニテヒワークス)を2010年より2016年まで6年間運営する。
此処にあるモノたちと必然的な答え合わせが起こった。
入口のガラス扉にあった元々のロゴが美しいので、中の文字だけ似と非にすり替えた。これこそ似て非なるロゴの誕生だ。
外壁にそびえていたステンレスの袖看板枠を外し横にし、ガラスの天板を乗せた長いテーブルは、まるで違和感が無い程このホール空間にマッチした。
屋上で解体された空調機の室外機の羽の部分が階段で運ばれて行こうとした時、その美しいシーンに思わず廃棄を止めた。
それは天井扇として立派な役割に加えて、インバーター制御でマックスの回転数に上げると、1階のホールの紙モノが舞い上がり、宙を舞うインスタレーション。
レトロな蛍光灯は残し、天井面を解体するとコンクリートの仮枠跡がコラージュの様に美しい。薄くした水性塗料で一枚一枚質感を残して塗ってもらう。*COOT
床のタイルカーペットを剥がすと、昔の黒い接着剤のムラが現れた。そのムラをその様態のままエポキシ樹脂で固めた。
更にパールホワイトの樹脂をアクションペイントの様に床に撒いた。
光が抜けるカウンターを手作りして、車庫と厨房を挟むRCの厚さ200mmの壁をハツリ壊したままのカタチの開口部にガラスを貼り、ガラスの棚板にグラスやボトルを並べる。
元車庫からホールが見えて、分煙処としても人気場所となった。
1992年にドクメンタ9を観に行った時、ベルリンの崩壊後の壁の向こうに見えた東ドイツが自棄に印象的だったが、この場所でプロット出来た様にも思えた。
2016年にこの場所を後にして2017年に演出家の佐藤信さんの目に留まり、滞在制作が可能な劇場、若葉町WHARFが生まれた。実質、文化継承が叶った。
2016年什器移動後の様子はこちらをクリック
入居時、銀行当時のまま残っていた。